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ENSEMBLE ONGAKU ZAMMAI

編曲者ノート


 「ラヴェルの管弦楽版『展覧会の絵』を編曲してください。」
 これは私たち『音楽三昧』に寄せられた1枚のアンケートです。ラヴェルがクーセヴィツキーの依頼に応じてピアノ曲から管弦楽へと編曲した、あの有名な作品を知っている私たちには、すでに次なる手は残っていないように思われました。しかし、一つの宝石を違う宝石に作り変えてしまうラヴェル魔術に吸い込まれるように、私た ちのチャレンジは始まります。こうして『音楽三昧』は、その後、ラヴェルをはじめとして、ドビュッシー、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフなどの作品を手がけるようになりました。

 私たちにとって1枚のアンケートが『展覧会の絵』のきっかけだったとすると、今夜演奏する『ピアノ協奏曲』はメンバーH氏のふとした思いつきが始まりでした。ラヴェルのこの作品は、チャイコフスキーやグリーグのピアノ協奏曲と違い、ソリストはあたかもオーケストラの一員であるかのような顔をしています。ピアノと管弦楽は時に渾然一体となって響きを形成しているので、それを一度かき混ぜて一つの箱に入れてしまう。それから改めて、音楽三昧用に組み立て直すのです。いささか乱暴に聞こえるかも知れませんが、元々作曲家の頭の中身というのは、全部が一緒くたになった箱のようなものなのではないでしょうか。一度箱に入れないでそのまま各楽器に振り分けるように編曲をすると、それは“再創造”ではなく、単なる“差し替え”になってしまいます。すべてが箱に入りきるかどうか、それが三昧編曲の重要な鍵となるのです。

 ピアノ協奏曲第1楽章終盤のカデンツァや、第2楽章の冒頭などは、本来ピアニストが一人で音楽を奏でるはずのものですが、私たちは、アンサンブルで臨みます。優れたピアニストが大勢からなるオーケストラのごとく音を響かせるのとちょうど逆の位置関係で、私たちがアンサンブルで演奏する時には、全員一体とならなくてはなりません。これも再創造の楽しさの一つです。

 また、ラヴェルやドビュッシーは自国の古い音楽に注目し、18世紀の様式や舞曲をふんだんに作品に取り入れています。私たちが使用しているリコーダーやチェンバロなどの楽器は、作曲者たちの想定外でありながら全く違和感なく印象派の風景を彩っています。

 『クープランの墓標』の終曲『トッカータ』は、圧倒的なまでのピアニズムによって輝きを得ています。つまりこの曲は、ピアノ以外の楽器では表現しづらく、ラヴェル自身の管弦楽用編曲でもこの楽章は見送られています。ラヴェルは、この曲を生み出すにあたって、気の向くままに即興的に弾いたピアノのフレーズから徐々に曲を構築したのだろうと想像します。私たちは、ピアノの鍵盤上で指が踊り出す直前のラヴェルの耳の奥底に入り込み、そこから音の線路のポイントを切り替えて“室内楽行き”へと送り出します。
 
 再想像の楽しさは、実は演奏の楽しさと同じ住所にあります。作曲家の真意を推しはかり、翻訳し、それを人々に伝達する。いかにして核心に行き着くか、誤訳をしないか、誇張なしにスピーチできるか ー それら多くの課題に編曲と演奏によって立ち向かっていくことは、音楽三昧として大きな楽しみ、そして喜びとなっていきます。

田崎瑞博




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